■Happy New...■


新たな年の訪れを目前にした時、その胸に去来する思いは恐らく千差万別だろう。
また数を増す西暦に『悠久の世』を実感しては感慨を覚える者。
来年はこうありたい、と早くも目標設定を始める者。
過ぎ去りし一年に思いを馳せ、良かった悪かったと自己評価に忙しくなる者も
多いかもしれない。
中には『こうすれば良かった』『いやああしておけば』と不毛な後悔に苛まれる者も
少なくないに違いない。

そして……

一年に一度きりの大切な節目を、只の馬鹿騒ぎの大義名分としか考えていない者も
残念ながら確実に存在している。
それもボクの半径数メートル内に複数名。
嘆かわしい事実だが、彼らはボクと職業を異にしない者達……
全員が若手のプロ囲碁棋士だった。


「どわははは! ナニやってんらよ和谷っ、ドンくせェらァ!」


LED照明だからなのか、何処か薄暗い室内に酔っ払いの罵声が木霊する。
この場を提供してくれた親切な人間に対して良くあんな辛辣な台詞が言えたものだ。
いや……今さら取り立てて呆れる必要などない。
いつだって彼はそうだから。
『相手がどう思うか』より、『自分がどうしたいか』を最優先して生きているのだから。

大して懇意にしている訳でもないボクをこのパーティに誘った理由も同じ。
『何となく気が向いたから』以外に一切の他意はない。
棋院の御用納めの日、偶々エレベーター前で鉢合わせしていなかったとしたら
ボクは今この場に居なかっただろう。
快諾しようが拒絶しようが、彼にとって然して変わりはない。
ボクが居ても居なくても彼の世界に影響などない。

そんなことは疾うに解っていること。
そして解っていながら首肯した筈だった。
『ただ同じ空間に居るだけ』のこの状況は目に見えていた筈だった。
それでもいい……そう思っていた筈だった。


新しい年に変わる瞬間、視界の中に捉えておけるだけでいい、と。


「じゃー次はオマエがやれ、進藤ッ! エラソーなコト言ったんだから
てめーは1回につき2枚だかんなッ!」
「ハァ!? なんれそーなるんらよ!」
「この部屋ン中じゃオレが法律だからだ!! ホレっ、スタート!!」
「バーカ、られが2枚も脱ぐもんかッ……あ、こら待てッ!!
小宮てめー今ハンマー自分の方に寄せたろ!!」
「いんや〜? チョコっと調整しただけ〜」
「ウソつけ、ちゃんと真ん中に置けッ!! ココらろーが真ん中はッ!!」
「ンなコト言いつつテメェこそ今メット自分の方に寄せたなッ!?」
「調整したらけらっつーの!!」
「てめェに都合のイイ調整だろーが!! 真ん中はココだっ!!」
「いーやココらっ!!」
「やめろ見苦しいッ!! たかが1センチぐらいのコトで!!」
「イイから早く勝負しろァー!!」
「ちっ……じゃーヘルメットはてめーの主張を聞いてやる。
その代わりハンマーは…」
「てめーの主張聞いてやんよ! 行くぜ、小宮!」
「いよっしゃー!」
「「最初はグー!!」」

完全に酔っ払っている面々が取り囲む中、同じく完全に酔っ払っている2人は
鬼のような形相で『じゃんけん』をスタートする。
ちなみに『じゃんけん』だけで勝負が決まる訳じゃない。
その後に待ち受けている『アタックVSブロック』をも制さない限りは
勝利が確定しない。
『じゃんけん』で敗れ、ヘルメットを被るのが遅れ、叩くと『ピコッ』と
間抜けな音が鳴るプラスチック製のハンマーで脳天を割られて初めて
その人物が敗者だ、と決定する。
そして敗者は着ている衣服を1枚毟り取られた後に交代を余儀なくされる。
勝者は次の挑戦者が居る限り迎え撃たねばならない……その点に限っては
タイトル戦と似ている。

勝負内容の馬鹿馬鹿しさは勿論だが、決定的に違うのは『いずれ挑戦者が
居なくなる』ことだ。
『脱ぐもの』が無くなったら再挑戦権は自動的に無くなってしまう。
どんなに今一度の勝負を望んでいても、敗退時の約束事を果たせない以上は
涙を呑んで諦める以外にない。

……とは云え最後の1枚まで頑張る者はきっと居ないだろう。
裸を見られて困る異性が1人も居なくても。
ボクが持参した差し入れ(先日指導碁したお客に貰ったワインで、どうせ
飲まないから持ってきた。偉く高級らしい)が優勝賞品でも。
何故なら、このパーティが終了するまで『着る』行為は許されていないから。

「痛ッ!! てめー何れカオ叩くんらよッ!?」
「オマエが叩きにくいよーに逃げるからだろッ!」
「逃げちゃラメなんてルールなかったじゃん!!」
「アホか! やってイイのはメットで防御だけだ!!」
「うっせーなァ、わーったよ! 今ろからそーするよッ!」

既に裸足&Tシャツ+ジーンズ姿の進藤はブツブツとボヤきながら
中途半端に被っていたヘルメットを再び床に戻している。
靴下とオーバーシャツ、ジーンズのベルトを剥ぎ取られた今、次に負けたら
一体何を脱ぐつもりなんだろう。
酒や摘みで満杯のテーブル前に座っているボクは、勝負の舞台になっているTV前には
全く興味がない体を装いつつも固唾を呑んで顛末を窺っている。


もし……もし『Tシャツを脱ぐ』なんて選択をしたら。


誓ってもいいが決して嬉しくはない。
幾ら暖房が利いているとは云え、真冬の真夜中に半裸で過ごすなんて
身体に良い筈がない。
『丈夫だけが取り柄』と豪語する健康体と雖も100%風邪を引いてしまう。

それと、もう一つ。

健康上の心配と比べたら取るに足らない程度ではあるけれど、『嬉しくない』と
感じる理由は他にもある。
一人前の棋士たる者、公衆の面前で気軽に肌を出したりして欲しくない。
彼を『良く見ると結構カッコいい』と評価しているらしい女流たちの姿は
一切ないけれど。
そう云う目で彼を見ている男だって恐らく一人も居ないけれど。
彼のことを『天才棋士』として尊敬する囲碁ファンは少なからず存在する訳で、
そう云った人々を落胆させたりしないためにも……


「どわははは!! やったー、オレの勝ちィー!!」


その声に思考を中断されたボクは『無関心』の仮面が外れることにも構わず
TV前の舞台を凝視した。
そこに見付かったのは腹を抱えて大爆笑する観戦者たちと。
ハンマー片手に喜び舞い踊る小宮と。
被り損ねたヘルメットを両手に抱え、胡坐状態のまま力無く項垂れる進藤だった。

「脱・げ! 脱・げ!」
「ヒカルちゃぁ〜〜ん、早く見せて〜〜v」
「進藤ッ、ナニしてんだ! ちゃっちゃと脱げやコラァ!!」

囃し立てる者。
からかいながら煽る者。
怒声と共に命令する者……元々滅茶苦茶だった場は更に無法地帯化している。
そんな中、暫し敗北のショックに打ちひしがれていたらしい進藤は徐に顔を上げた。
それから『はぁ…』と悲哀の篭もる溜息を吐き、ヘルメットを床に戻す。
数メートル離れた位置で青ざめている一人の男には気付いてもいない。


……ダメだ、それだけは。


その男が頭の中でグルグルと繰り返しているのはそんな言葉だけ。
健康上のことなんか考えてもいない。
棋士に相応しくない素行かどうかなんて彼方に飛んでいる。
今が真夏だとしてもダメだ。
たとえ棋士として尊敬される行動だろうがダメだ。


ボク以外の人間に裸を見せるなんて、絶対に……!!


「…おおっ、上じゃなくて下から行っちゃうー!?」
「えぇ〜っ、ヒカルちゃんの乳首が見たかったのに〜v」
「みんなー、写メの準備イイか―!?」
「……!! ちょっと待っ……」

思わず口を衝いて出た制止の言葉は中途半端なところで止まった。
やんやの騒ぎに掻き消されてしまったらしく、ソファから半分腰を上げた
ボクには誰も注意を払っていない。
皆が注目しているのは、進藤が床に投げ出した黒い物体。
幅広のベルトのようなもので、ボクの位置からでも『Mizuno』と云う
スポーツブランドのロゴが付いているのが見える。
進藤はと言えば、その物体の着脱時に乱れた衣服を悠然と直しながら
何食わぬ顔をしていた。

「なっ……なんだよコレ、ハラ巻きか?」
「ンなダセーもんするか! ウェストウォーマーらッ!」
「一緒だろーが!! カタカナで言ってるだけだろーがッ!!」
「一緒じゃねェもん!! 腹巻きは毛糸で出来てるヤツらもん!!」
「どれどれ……へ〜、コレはジャージっぽい生地なんだな。
今ってこんなシャレたヤツあるんだなァ」
「うん、伊角さん見たことねェ? ランニング用のヤツれさ〜、
腰まわりメッチャ温けェんら〜」
「フーン……あ、ボタン付いてんだ?」
「そーそーv 付けやすいし、暑い時とかスグ外せてイイらろ?」
「そっかー、オレも買おうかなァ…」
「ちなみにドコで売ってんだよ、コレ?」
「あ、小宮も買う? んっと、オレはイオ○レイクタウンの〜……」
「コラァ、ンなもん後にしろ!! つーか進藤、こんなモン
『脱いだ』って言わねェぞ!?」
「こらこら、和谷だってさっき『サポーター』でゴマかしたじゃないか。
それも片方のヒザの」
「うッ……そ、それは……」
「その前は確かペンダントだったよな。で、その前は…」
「し、仕方ねェ! 進藤ッ、伊角さんに免じて今回は見逃してやる!
さァ、次の挑戦者は誰だッ!?」
「ハーイ! オレやりますー!」
「うわッ……ほ、本田さん…」
「あのー、次負けたらパンイチだけど……ちゃんと覚悟してる?」
「はァ? 失礼な、してるに決まってるだろ!」
「お、オレはカクゴ出来てねぇ…!」
「お、オレもムリっぽい…!」
「何だオマエら、進藤の時は喜んでたクセにー!!」


ぎゃはは……と云う品のない笑い声が室内に響き渡り、今や皆の関心は
次の勝負へと集中している。
一先ず胸を撫で下ろしたボクは再び『無関心』を装う。
だが正直心の中は乱れたままだった。
実際口に出していないとは云え、脳内で叫んでしまった己の『本音』に
決して小さくないショックを受けていた。


……『取るに足りない存在でいい』?
『同じ空間に居るだけでいい』?
『視界の中に捉えておけるだけでいい』……?


そんなもの、全部大嘘じゃないか。


「アハハ、イイってイイって! オレが作ってあげるから〜」
「危なっ……零れる、零れるって進藤!」
「ら〜いじょうぶ! …ハーイ、混ぜ混ぜ〜〜v
進藤特製カクテルのれき上がり〜〜!」
「うっ……マズそ……いや、旨そうだな、うん。
ありがとう進藤」
「えへへ〜、こちらこそさっきは助け舟アリガト〜v
お礼に今夜はオレ、伊角さん専用マろラーになるんら〜〜」
「ハイハイ、分かった分かった。
とにかくソファでちょっとだけ休んで来いよ、な?
そんなにフラフラしてちゃ勝負になんないだろ?」
「ん〜〜……じゃ、オカワリしたくなったら呼んれくれる?」
「うん、呼ぶ呼ぶ。……おっ、小宮ガンバレ!!
あぁ〜っ、惜しい!」
「………」

酩酊状態でも『適当にあしらわれた』ことは判るらしく、不満げな表情の進藤は
甚く慕っているらしい院生時代の先輩棋士に絡むのを止めた。
そして微妙に口を尖らせながら自分のグラスに酒を次々注ぎ、フラリと立ち上がると
ゆっくりこちらに向かってくる。
先輩棋士に言われた通り、ソファで横になるためにこちらへ近付いてくる。
その目は疲れ切ったように虚ろ。
が、目的地付近に腰掛けるボクを発見した途端『キラリ』と思惑ありげに輝いた。


──獲物発見。


どうせそんなところだろう。


「何らよ塔矢ァ〜〜一人醒めたツラしやがって!
こんな時ぐらいカッコつけんのやめてハジけろよー!」


どすん、と隣に腰掛けた進藤は、酒臭い息を振り撒きながら詰め寄ってくる。
ロックオンした『獲物』が何を考えているかも知らずに。
ボクだって醒めたくなかった。
気持ち良く酔っ払っていたかった。
弾けるように笑うキミを見つめながら、ただ平和に年を越したかった。


計画をぶち壊したのは、無自覚なキミだ。


「ホラオマエも飲めっ、オレ特製のリアルチャンポンカクテル!」
「……何が入っているか訊いてもいいか?」
「んーとぉ、ビール&ワイン&ウイスキー&ウォッカ&テキーラの
コーラ割り〜v あー、焼酎もぶっ込んらかもしんねェな〜」
「ハァ……いい加減だな、相変わらず」

チラリと確認した腕時計の短針と長針は重なる直前。
例の勝負は最高潮に盛り上がっている。
きっと誰も……ボクたちのことなんか気にしていない。

「相変わらずってのァ何らよ〜〜! 大体オマエはさァ〜〜、
いっつも『ボクはみんなと違うんれす』って感じの態ろれさ〜〜」
「……うん」
「お高くとまってるって言うかァ〜〜、ワザと近寄りがたいオーラ
出しちゃってるって言うかァ〜〜」
「……近寄って貰えないと傷付くからだよ」
「……はァ? 何つった、今?」
「別に何も。それより、そのカクテルはそんなに旨いのか?」
「んー? あったりまえらろ、オレが作ったんらから〜〜」

自慢げに言い放った進藤はぐいっ、と不味そうなカクテルを煽ってみせる。
9、8、7、6……
今を逃したら、もう永遠にチャンスはないかもしれない。


「……なら一口貰おう」
「…っ!?」


いきなり片腕を掴まれ、思い切り引っ張られた進藤は口に含んだ酒を
飲み込むことも出来ずにボクの胸へ倒れ込んでくる。
間髪入れずにボクはその身体を右腕で抱き留め、引き結ばれた唇を
素早く塞ぐ。
そして無理やり舌先でこじ開けては強く吸い上げる。
進藤の体温に温められた酒を、とんでもなく下品な音を立てながら。
酩酊の余り突き飛ばす力さえ残っていないらしい進藤は、為す術もなく
唇と睫毛を震わせていた。

3、2、1、0……

「あけおめー!」
「ハッピー2014年ー!」

……新年を祝う皆の声が遠くに聞こえる。
進藤を『視界の中』どころか、腕の中に閉じ込めた状態で聞いている。
もう奪うべき酒は一滴も残っていないのに離れる気になれない。
最初で最後になるかもしれない……
そう思うと、世界中の時計を叩き潰してやりたい気分だった。


「……っ……っ……」


漸く解放された進藤は、言うべき言葉が何も思い浮かばないらしく
口を半開きにしたままボクを見つめている。
予想外過ぎる出来事に一気に酔いが醒めたのが見て取れる。
恐らく心底怒り狂ってはいない。
しかし同時に喜んでもいない。
いっそ『性質の悪い冗談』で済ませてしまおうか、と心が揺れる。
その『揺れ』が白々しいまでの無表情を作り出す。
本当は無駄だと解っているのに。
もう後戻りは出来ないと知っているのに。
何故なら……『嘘』も『強がり』も2013年に置いてきてしまったから。


「……なんて不味い酒なんだ。
史上最悪の味と言っても過言じゃないな」
「なっ……何ィ!? てめェ人の酒勝手に飲んどいてっ…」
「『お前も飲め』って言ったのはキミだよ?」
「……っ……こっ、このヨッパライめがー!!
誰がオレのク、クチから…っつったよ!? ざけんな!!」
「いや、最低の味ってことは飲む前から判ってたから。
せめてグラスだけは最高にしたい、と思って」
「あーそうかよっ! そりゃ悪かっ………え?」


目を剥いて怒りを露わにしていた進藤は、ボクの言葉が『酒の酷評』関連で
なかったことに気付いて戸惑いの表情になる。
徐に伸びてきたボクの手が顎に触れても払い除けもしない。
親指で唇をスッとなぞられても瞬き一つしない。
そこまで驚愕させたと云うことか。
それすら通り越して恐怖に陥れたと云うことか。
判らない。
何も手掛かりがないだけに判断出来ない。


「このグラスは誰にも奪られたくない。
ボクだけのものにしたい。
……そう正直に言ったら、聞き入れて貰える可能性はあるか?」


『戸惑い』が『戦慄』に変わってしまうことを内心で危惧しながら、
ボクは一息にそう告げた。
鏡で確認していないから断言は出来ないが、流石に無表情は
保っていられなかった筈だ。
それどころか情けないほど不安げだったかもしれない。
笑われかねないほど無様だったかもしれない。
そうだとしても構わない、と思う。
格好など何も問題じゃない、と心底思う。
本心を言えずに終わることより情けなく無様なことは、きっと他にない。


「……っ……」


数秒放心状態だった進藤は、微かに息を呑む気配を見せた直後に
みるみる赤くなった。
それを隠すためなのか、ボクの手から逃れるためなのか、とにかく
勢い良く俯いて。
傍のテーブルにドン、と音を立ててグラスを置いて。
肩を怒らせてジーンズに包まれた膝をぎゅっと掴んで……
ボクが戦々恐々と反応を見守る中、意を決したように言った。


「しっ……知りたきゃ、ヒトのいないトコで
ちゃんと言ってみれば!?」


そう叫び終えた途端、耳まで赤く染まっている進藤は逃げるように
席を立ってしまった。
向かう先は当然の如くTV前。
敗退した小宮君が脱ぎ去ったシャツをフラッグのようにぶんぶん振り回し、
勝利した本田さんがハンマーをバトンのように回しては奇声を上げている。
観戦者の面々も立ち上がり、オーディオから流れる爆音に合わせてひたすら
踊り狂っている……裸足、下着姿、半裸が入り混じって。
あれは最早『カオス』だ。

「2014年オメデトー!」
「ヒャッホーイ!」
「ヨロレイヒー!」

踊りの輪に加わった進藤は、たった今の出来事など忘れ去ったかのように
皆と馬鹿騒ぎを始めた。
暫く見守っていたが、予想通りボクの方など一瞥もしない。
やがて諦めたボクは独り静かにグラスを手に取る。
進藤が残した言葉の意味を、その真意を必死に探ろうとしてはみたものの
押し寄せる不安を酒で誤魔化さずにはいられなかった。


……しまった。
これは進藤が置いていったグラスだ。


「あーっ! コラァ塔矢ッ、ヒトの酒飲むなー!!」


無関心を装いながらも目の端でしっかり見張っていたらしく、
『怖いもの飲みたさ』でもう一口試そうとしていたボクに向かって
進藤は怒声を張り上げた。
そしてづかづかと歩み寄ってきたかと思うと乱暴にグラスを取り上げる。
余りの勢いに、グラスの中の不味い酒が少し床に零れた。

「…ったく、油断もスキもねェなっ! この酒飲み!!」
「…………」
「オマエ人の話聞いてねェだろ!? つーか聞いててシカトか?」
「えっ? 話って、何の…」
「だからっ、こんな強い酒飲んだら……っ……あ〜〜もーイイ!」
「良くない! 飲んだら、何なんだ!? はっきり言え!」
「ヤだね!! 勝手に酔っ払っちまえ、バーカ!!」
「なんだその言い方は!? 一体誰の所為で飲みたくなると……っ……」

誰もこちらを気にしている様子は無かったが、その台詞の『おかしさ』を
途中で意識したボクは続きを呑み込んだ。
いつも碁のことで言い争う時と同じ小憎たらしい表情だった進藤も
『おかしさ』に気付いたらしく、口を『へ』の字にして黙り込んでしまう。
……これは挽回不可能な悪手だったかもしれない。
『深酒』の責任を擦り付けてくる自己陶酔男だ、と引かれたかもしれない。
いや、そもそも進藤が指している『話』を理解していないところがダメだ。
しかし『もう酒を飲むな』なんてひと言も……


「……んじゃあ、今すぐ行く?」


チラリ、と皆の方を窺ってからボクの隣に腰を下ろし、明らかに
声を落とした進藤はそう言った。
耳から煙が出そうに頭を悩ませているボクの気も知らず。
まるでもう『打ち合わせ済み』のことのように。


「オレはもーちょっとみんなと騒いでから、と思ってたケド。
そんなにオマエが急ぐんなら、今すぐでも……」
「……いっ、いや、ボクは急いでなんか……」
「だったらもー飲むなよなっ。
知ってんだぞ、ビール3本・水割り6杯・ロック3杯!
さすがにコレ以上飲んだら歩けなくなるだろーが!」
「えっ……いや、あとロック3杯は大丈夫……」
「口ごたえすんな、このザル! 飲むなったら飲むなッ!!」
「……っ……」
「イイな、オレは30分くらいしたらテキトーに理由つけて出るから。
オマエは10分くらいズラして出てこいよっ?」
「わっ……分かった」
「確か大晦日……つーか元旦って真夜中でも電車動いてんじゃん?
だったら初詣とか行ってもイイかなーって……
お、オマエがヤじゃなかったら、だけどっ」
「……嫌じゃない。全く。欠片も。髪の先ほども」
「あ、そ? じゃあ……駅に向かって歩いとく」
「……追い付くよ。走ってでも」
「バカ、走ったら酔い回っちゃうじゃん!
イイんだよっ、ゆっくり歩いてくるだけで!」
「…………」
「ハァ……言われなきゃ分かんねェ?」
「…え…」
「だから〜……どうせなら酔ってない時に言われたい……って気持ち」
「…!」

仄かに頬を染めながら上目遣いで囁いた進藤は、
思わず息を呑んだボクを見てクス、と微笑った。
かと思えば軽やかに身を翻し、依然盛り上がっている皆の輪の中に
そそくさと戻っていく。
戻ると同時に意味不明の奇声を上げては馬鹿騒ぎを再開する。
……たった今の出来事など忘れ去ったかのように。

けれどそれは表面上のこと。
全くの無関心を装っていながら、ボクの飲酒量をピタリと言い当てたのが
何よりの証拠。
他意の無さそうな振りをしながら、年が変わる寸前に近付いてきたのも……
もしかしたら証拠なのかもしれない。


────そして50分後。


駅のベンチでつい眠ってしまった進藤は、人生初の『初詣列車』に乗る
チャンスを逃す羽目になる。
代わりにその15分後にはもう一つの『人生初』を経験することになる。



「オマエッ……ヒトが寝てるスキにこんなトコ連れ込んでっ……!!」



と、顔を真っ赤にして怒鳴ったのは言うまでもないけれど。
暖かいベッドで眠らせてやりたかった、と嘘偽りない弁解をしていたら、
程なく布団を捲り上げて手招きしてくれた。





Fin






モドキさま、素敵なリクエスト&小説有難うございました!




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