君に似合う花
「お綺麗ですね」
指導碁を終え身支度を整えていると、先ほどまで自分が座っていた椅子の背後に、部屋に入った時には気付かなかった、
花瓶に飾られた色とりどりの薔薇を見つけ、そのあまりの美しさに思わず声が漏れた。
「花、お好きなんですか?」
アキラの言葉を受けて、この家の主人が言った。
「いえ、特別そういうわけではないのですが、こちらはとても美しいな、と」
「よろしければ差し上げますよ」
主人の申し出に「そんな、申し訳ないです」と首を横に振るアキラに、
「先生のような美しい方によく似合いますから、是非」と、主人は言った。
「特にこちらなんてどうでしょう?珍しい色でしょう?」
そう言って指差された花の色に、アキラは目を丸くする。
「初めて見ました」
薔薇にしては珍しいその色は、とても気高く美しい雰囲気を携えており、そこだけ澄んだ空気が流れているようにさえ感じた。
「そうでしょう?この涼しげな色が、凛とした先生にとてもお似合いだと思うんですよ」
主人は満足そうな笑顔を浮かべた。
「この花言葉もまた、先生にぴったりで。」
「花言葉ですか?」
「ええ」
「これは――――」
先ほどからすれ違う人の視線が突き刺さる。
それもそのはずだ、とアキラは腕に抱えた大きな薔薇の花束を見つめ、苦笑した。
真っ直ぐに家に帰る予定だったが、急用を思い出し、棋院に寄ることになり今に至る。
知り合いに会うのは気恥ずかしいな、と足早になったその時、「塔矢?」と、一番会いたくないと思っていた声が聞こえた。
棋院からの帰り道だろうか。
横断歩道の向こう側から、金色の前髪を揺らしながら駆け寄る声の主の目線が、花束へと向かっていることにアキラは気が付いた。
「指導碁先でいただいたんだ」
肩をすくめながら、少し困ったような笑顔でアキラは言った。
「ふーん」と言いながら、物珍しげにアキラを見つめていたヒカルは、通りすがりの人々の視線の先が自分と同じことに気がついた。
「めっちゃ見られてるな、お前」
「大の男が大きな薔薇の花束を抱えて歩いていれば、目立って仕方がないのだろう」
「まあ、それだけじゃないと思うけどな」
ただでさえアキラは整った顔立ちに優美な佇まいで、人目を集める青年だ。
そのアキラが花束を抱えている姿はいつにまして優雅で美しく、思わず見惚れてしまうのも分かる、とヒカルは思った。
―― そんなこと、口が裂けても言えないけれど。
「それにしても、おまえ、花似合うなー」
「そうか?」
笑われることを覚悟していたアキラにとって、心底感心したように言ったヒカルの言葉は意外なものだった。
「特にこれが一番似合う」
そう言って、色とりどりに咲き誇る花びらの中からヒカルが指を差したのは、燃えるように真っ赤な色。
「迂闊に触れたらケガするぜ!燃えてるぜ!って感じが、お前みたい」
と笑うヒカルの言葉は、つい先ほど指導碁先で評された「涼しげ」とは正反対で、アキラは戸惑った。
「・・・僕はそういうイメージなのか?」
「だって、お前めちゃくちゃ熱いじゃん?クールとか、かっこいい〜とか周りは好き勝手言ってるけどさ」
「オレはお前のこと一番知ってるもん」
アキラは、体中の熱がこみ上げてくるのを感じた。
「うぜーぐらい、あちーのな!」
そう言って笑うヒカルをまともに見れず、紅潮する頬を悟られないように、目を背けた。その目は、一輪の花を捉えた。
早まる鼓動を落ち着かせようと大きく深呼吸をすると、「じゃあ、君はこれだね」と言って、アキラは花束の中からその一輪を選んでヒカルに差し出した。
「きれー・・・」
目の前の花のあまりの美しさに、ヒカルは吸い込まれるように手を伸ばした。
それは、このまま空に溶けてしまそうなほどに透き通った青色をしていた。
「オレ、青い薔薇はじめてみた」
大きな瞳を輝かせながら薔薇をまじまじと見つめていると、すれ違う人波からくすくすと笑い声が聞こえ、ヒカルはふと我に返る。
薔薇を片手に無邪気に燥ぐ青年の姿は、傍目には微笑ましく映ったのだろう。
「って、いらねえよ。持って帰るの恥ずかしいじゃん!
オレなんかが持ってもさー」
顔をほんのり赤めらせながら、慌てて返そうと薔薇を持つ手をアキラ向かって突き出すも、アキラはそれを拒み静かに首を振った。
「そんなことないよ。それは君によく似合う。」
突き出した手の行先を失い、戸惑うヒカルは首を傾げながら言う。
「えー・・・
青ってクールとか知的とかそんなイメージだよなあ?
オレのイメージじゃなくね?」
「さあてね。」
アキラは、優しく微笑むと、ヒカルに背を向け歩きはじめた。
「絶対違うよなあ」
アキラの言葉に納得がいかないのか、青い薔薇をまじまじと見つめ呟くヒカルの声を背中に聞きながら、アキラは心の中で笑った。
―― 君をクールだなんて、思うはずがない
―― でも、あの花は君にぴったりだと思ったんだ
「青い薔薇の花言葉は、「神の祝福」って言うんですよ」