自分と云うヤツは何故上着を脱ごうなんて考えたのか。
過密気味の車内が乗った瞬間から暑くて不快だったからに違いないが、
この男が傍に居ると云うのに。
普段は人畜無害で温厚な性格
(のように見える)とは云え、何かキッカケがあったが最後
メンドクサい人格が顔を出すことぐらい長い付き合いの中で充分思い知っているのに。

それも公共の場だろうとお構いなし。
人目があろうとなかろうと関係ない。

……まあ、2人きりの時に比べたら多少控えめではあるけれど……

でもあくまで『多少』だ。
100メンドクサイが80メンドクサイになるくらいのものだ。

ヒカルなら2人の特別な関係が露見してしまう行為を外では絶対しない。
ドア脇の安全バーを掴む相手の手に自分の掌を重ねる、なんて危険だから絶対しない。
超満員の通勤電車内で胸と胸を密着させる、なんてことは輪を掛けて絶対にしない。

いや、目的は『ヒカルの身体を誰にも触れさせない』ことだとは解っている。
ついでに『苦しい思いをさせたくない』思いもあることも解っている。
しかし、だ。


――せめて背後からにするだろ、フツー?


ドアに背中を押し付けられて身動きが取れないヒカルは、しっかり合わさった胸から
伝わってくる体温に閉口しながら頭の中で呟く。
御茶ノ水駅に停車した時、薄ボンヤリしていたことが悔やまれて仕方ない。
もう少しホームの状態に注意を向けていれば、ドドドド…と云う足音と殆ど同時に
覆い被さって(?)きたアキラに気付くのが一歩遅れるなんてこともなかったのに。
あと1秒察知するのが早ければ、ヒョイと身体を捩って背を向けられていたのだ。
そこまでは出来なくとも横向きぐらいにはなれていたのだ。
何だかんだ言っても憎からず思い合っている相手だし、くっ付くのがイヤだと云う訳では
ないのだが『朝っぱらから』『出勤前』などの条件があるから困るのである。

特に今日は【創立90周年記念式典のゲスト棋士】と云う言わば絶対に失敗出来ない仕事。
イロコイ事にフニャけた気持ちで向かうなんて間違ってもしたくない。
シャツを隔てて感じる胸筋にドキドキするとか。
汗ばんでいる其処に頬を当てた時を思い出してゾクッとするとか。
瞼の裏に浮かんでくるリアルな映像にまで体温を引き上げられるとか……
そう云うのはオフに楽しめば良いのであって、仕事と云う『闘い』を控えている朝には
相応しくない。


「…何故脱いだんだ?」


必死で別のことを考えようとしているのに、人の努力を台無しにする囁き声が耳に
忍び込んでくる。
吐息がかかるくらいに近くて、平静を装いたくても出来ない。
思わずビクッと首を竦めてしまう自分を止められない。
それがどうにも悔しかったのと同時に、自問自答していた内容そのままだった問いに
驚いたこともあって、ヒカルはその低い声に責める色合いがあったことを俄かに
意識出来なかった。

「っ……暑いからに決まってんだろ。こんな混んでんだから」
「じゃあ、何故下着をつけていない?」
「は? いつも着てねェよ、オレはっ」
「そう。なら『確信犯』ってことだね」
「…はァ?」

合わさった胸が離れるよう、ほんの少しだけ身を引いたアキラは顎も引いて
下を覗いてみせる。
そんなことをされたら無視を決め込むことも出来ず、ヒカルも条件反射的に
その視線を辿る。
もちろん其処にあったのはワイシャツを着たヒカルの胸。
何の変哲もないペッタンコの胸。
……だけれど、本来あってはならないものが存在していた。
否、『在る』のは当然だからいいのだが……『その状態』にあってはならないものが2つ、
シャツの上からでも判るほどに己の存在を主張していた。


「……っ……!」


かぁっと顔を赤らめたヒカルは思わず右手で其処を庇おうとする。
バーを掴む左手は、ヒカルの意図を察知したらしいアキラに余計ぎゅうっと握り込まれて
動かせそうになかったからだ。
だが、誰にも拘束されていない手にも自由は与えられていなかった。
余りにも満員過ぎる車内では、『自分の身体を片腕で庇う』と云う小さな願望さえ
叶えることが出来ない。
ダメで元々とモゾモゾ身を捩ってみたが、アキラではない何処かの赤の他人の背中に
押さえ付けられている右腕は全くスッポ抜けてくれそうになかった。

その悪足掻きの様子だけでも見られて嫌がっていることは解っている癖に、若干
不機嫌そうな表情のアキラはちっとも視線を外そうとしない。
当然ながら左手の拘束だって解いてくれようとはしない。
正直頭に来たけれど、相手がアキラだけに頭突きを喰らわすワケには行かなかった。
他の誰かなら躊躇なく鼻血を噴かせてやるところだけれど、アキラにだけはどうしても
本気で攻撃する気になれないのだ。
(※碁は別)

とは云え黙ってその視線に耐えることも出来ず、外方を向いたヒカルは腹筋に力を入れて
なるべく身体を丸めようとした。
そうすることでシャツに皺が寄り、見られたくない突起が上手く隠れてくれることを期待して。


「ひょっとして、誘ってる?」
「……はっ!?」
「ワザとそんなものを見せておきながら、その初心そうな反応。
人を挑発してるとしか思えないんだけど」
「なっ……な、ナニをバカなコト……っ」


微かに震えてしまう声に焦りを感じるヒカルだったが、そんなものオードブルでしか
なかった。
下腹に当たる『それ』の感触に気付いた瞬間に比べたら、ドヤ顔で放った勝負手が実は
とんでもない失着だったと気付いた瞬間のパニックでさえも居酒屋の突き出しみたいなものだ。
それもこれも『こうなってしまった時のアキラ』の怖ろしさを良く知るが故。
己の身体を使って宥める以外の方法なんて知らないのに、それが出来ないこの公共の場で
一体どうしろと言うのか。


――神さま、お願いだ。
はじめに時間を戻して。
オレの乳首が勃ってない、電車の乗り始めに時間を戻して――!!



「ぇ次はァ〜〜水道ばすィ、水道ばすィどぅぇす。
お出口ふんだり側〜〜すっ注っだっすぁい」



微かに息が荒い気がするアキラが再び胸と胸を密着させてきた頃、『ギャグか?』と
問い詰めたくなるほど脱力感溢れるアナウンスが車内中に染み渡った。
あぁ、今だけは『もっとハキハキ喋れ!』なんて酷いことは一切思わない。
100%ではないけれど、10%くらいは叶えてやろうと考えてくれた神さまの計らいなのだから。

もうあと数十秒だ。
もう一度ドアが開きさえすれば、最低でも数秒間は乗車率が下がる。
こんな場面では日本人のマナーの良さに感謝せずにいられない。
降りたい人々を必ず優先する、その素晴らしい文化に誇りを覚えずにいられない。


――ピンポン、ピンポン…


いつもイラッと来るその音が天使のラッパの如く美しく聞こえる。
息を詰め、両足を踏ん張ってヒカルは体勢を整える。
アキラの直ぐ後ろに居たサラリーマンが慌てて出口に向かうのを始め、どんどん周囲から
人が少なくなっていくのを虎視眈々と見守る。
程なく『密着状態』を止めなければならなくなったアキラがスッと身を引いた瞬間、
バーを握る手の拘束も僅かに緩んだ。
本気になったヒカルはそのチャンスを見逃すほど鈍臭くない。
パッと手を撥ね退け、邪魔する暇を与えないほど素早く身を翻すことぐらいお手のものだ。


――ドドド、ドドドドド!


冷たいガラスに両掌を貼り付け、やっと手に入れた平和にホッと胸を撫で下ろすヒカルに
またも試練が襲い掛かる。
それは新たに乗り込んできた乗客たち……ジャージ姿の男子高校生数十名と云う団体だった。
彼らの恐ろしいところは、身体は既に一人前のサイズなのに中身が未だ一人前と呼ぶには
程遠い点であり。
ホームで誰かが余程面白いボケをかましたのか、その9割が爆笑若しくはノリツッコミ中と云う
凄まじい喧しさを『迷惑』と気付いてもいない点であり。
今回に限るなら、1人1人が校名入りのピカピカ巨大部活バッグを携行しているところも
非常に性質が悪かった。
何処か遠方の学校で練習試合でもあるのだろうが、人数的に言えば先刻よりも乗車率は
下がった気がするのに混雑度合いは酷くなると云うハメに陥っている。


……つまり、またもや『密着状態』を避けられなくなった、と云うことで。


向かい合わせでなくなった点はマシだけれど、背中にアキラの身体がピッタリ貼り付いている……
と云うか、若干圧し掛かられている状態は『平和』とは言えない。
しかも猛烈に困ったことに、目下その下半身は『大容量キャンペーン開催中』。
キッカケを与えてしまったのは何もかも自分の不用意さだけれど、そんなモノを腰の辺りに
ぐりぐり押し付けられた日にはとても平静でいられない。
形、色、味……色んなディテールを思い出して心臓が破裂しそうになってしまう。


「これから式典だって云うのに……どうしてくれるんだ?」


僅かに身を屈め、ヒカルの肩にそっと顎を載せてきたアキラは叱るような口調で囁いてきた。
そんなモン知るか! と頭の中で怒鳴ってみたものの、実は多少罪悪感を覚えているから
口には出せなかった。
それに……自分でもつくづくバカだと思うが、その意地悪さ加減に背筋がゾクッとして
余計言葉が出なかったのかもしれない。

そしてもう一つは例の『それ』の位置。
今や腰よりもっと下……要は『そう云う行為』の連想に直結する場処に移動している。
ご丁寧にも先端部がグッと宛がわれるような食い込み気味の状態で。
幾らメンドクサイ性格だからと云って、此処まで変態じみた嫌がらせをしてくるだなんて
予想外だったから面喰らうのも仕方なかった。


……どくん、どくん、どくん……


布数枚を隔てているのに、艶めかしい脈動が伝わってくる。
その上『焼きゴテなんじゃないか』と疑いたくなるほど熱い。
当たる場処だけでなく、その内部に存在する『最も刺激に弱い場処』にまで熱が届いて
頭がクラクラしてくる。
これではおかしな気を起こすな、と言われたって到底ムリだ。


――イヤイヤイヤ、ココでオレが流されてどうする!


異様にドキドキする心臓に歯を食いしばって喝を入れ、ヒカルはその熱の塊から
逃亡すべく少し腰を引いた。
それから二度と容易に侵入されないように思い切り尻に力を入れる。
今現在、最も重要なことはアキラを我に返すこと。
此処が通勤電車の中であり、これから自分たちは仕事に向かわねばならないのだと
改めて自覚させること。
変態じみた悪戯に頭をポーッとさせている暇なんて1秒たりとも無い。


「こんなトコでサカってんじゃねェよ、バカ」


そのひと言は我ながら100点満点を付けられる冷淡さだった。
脳内に広がる妄想も、通常の倍になっていそうな脈拍も、じんわり汗ばみ始めている肌も、
何もかも完璧に隠し切った言い草だった。
ひょっとしたらプライドを酷く傷付けたかもしれない。
真剣にそんな心配をするくらい、どんなに図太くて性質の悪い痴漢が聞いたとて
一瞬で萎えてしまうだろう見事な切り捨てっぷり。


……だったことに間違いはないのだが。


ヒカルの身体を跨ぐようにバーとガラスに片手ずつ着き、微妙に圧し掛かっている
アキラは一向に身体を離そうとしない。
反省して離そうとしているのに満員状態で出来ないのかもしれないが、それにしては
押し付けられるモノの硬さに変化がないなんて辻褄が合わない。
大事な事実をすっかり忘れているヒカルは、何故狙っていた効果が現れないのか
首を捻るばかりだった。
あそこまでピシャリと拒絶されたら、自分なら涙目になって逃げ帰るのに……と。


「……っ……!?」


声にならない悲鳴を上げたヒカルはビクッ、と全身を硬直させる。
何の前触れもなく股間の『それ』を握られたからだ。
ちょうど座席横のパネルの陰に隠れる右側から、まるで当然のことのように躊躇なく。
万が一にも人に悟られないよう、左手に持つアタッシュケースで衝立を作りつつ。
例の『布越しの悪戯』ですっかり天を向かされていた肉棒は、ただ握られただけでも
腰が痺れてしまうほどビン、と張り詰めていた。


「……そんなに興奮した? こんな所でサカられて」
「ちょっ……や、めろって…!」
「止めない。正直に答えるまで」
「……っ……こっの……ヘンタイ…!」
「そうかな。キミより素直なだけだと思うけど?」
「……ぅぁっ……」


両手で懸命に取り払おうとするのに、『それ』をやんわり擦り上げ始めたその手を
どうしても退かすことが出来ない。
余り派手な動きをしたら周囲に注目されてしまう、と思うと激しく身を捩ることも
躊躇われる。
結果逃げようにも逃げられず、下唇を噛んで声を殺すしかなかった。
防御力を失った尻が再び野蛮な侵入者に襲われても耐えるしかなかった。


そう、どうせもう直ぐ次の駅だから。
しかも記憶ではこちら側のドアが開くから。
そうなればきっと、この冗談みたいな痴漢プレイだって終わってくれる。


「ぅっ……んっ…!」


一刻も早い終焉を望んでいるヒカルだったが、運命は非情だった。
ジッパーを下げられ、下着までズラされ、巧みにスラックスの中に滑り込んできた指先に
『それ』は弄ばれ始める。
何処が一番『いい』のか知り尽くしている男の指先に。
何とか列車の走行音で掻き消える声に抑えているけれど、正直限界だった。
それより何より、このままではものの数秒で……


「塔矢っ……い、イイ加減にしろよっ…!」
「そろそろ降参する?」
「……だ、誰が……する、かっ」
「そう。じゃあ……このまま達かせちゃうよ?」
「!! バっ……やめろ、こんっ……ぅ、くっ…」
「……嫌?」
「ヤに……決まっ……ん、んっ…!」
「なら本音を言うしかないな。意地を捨てて、素直になって」
「…っ…ほ、本音って……どーしろっつうんだよ、もうっ…」





膝から崩れ落ちそうになるのは我慢出来ても、訴える不満が涙声になってしまうのは
止められなかった。
本音なら疾うに口にしている。
今すぐ止めて欲しい、それだけだ。
気が変になりそうなぐらい感じているのは事実でも、こんな場所で服を着たまま
射精なんて絶対したくない。
大体これから大事な記念式典なのだ。
開始は午後からだけれど、打ち合わせや下準備が色々あるから出来るだけ早く
来て欲しいと言われているのだ。
だから2人で相談して、態々こんな朝早くに………


――アレ?
そー言えば……
あっちには何時、って特に言われてなかったんだっけ。



「ぇ次はァ〜〜飯田ぶゎそィ、飯田ぶゎそィだぇす。
お出口むぎ側にぁりま〜〜すっ注っどぅぁっすぁい」



脱力感を通り超えて愛情すら湧き上がって来るクオリティに登り詰めつつあるアナウンスが
超満員の車内の空気をホッと緩ませる。
程なくこちら側のドアが開く、と告げられてはそうしない訳に行かないらしく
アキラの指は大人しく退却していく。
己の不始末は己で後始末、とばかりに下着もジッパーもちゃんと元に戻した上で。
秘処をぐいぐい攻めていた痴漢棒も続けて離れていった辺り、『アナウンスが流れるまで』と
密かにリミットを決めていたのかもしれない。


まぁ……もしかしたら市ヶ谷までのもう一駅で再開するつもりかもしれないが。


でももう此処で全て終わりだ。
痴漢プレイも。
満員電車も。
出来るだけ立派な棋士に見られたい、などと云う狭量な見栄も。
立派な棋士以前に、立派な人間は多分……素直になっていい時はあっさり素直になるものだから。



「……にっ……2回3回はムリだからなっ?」



漸次スピードを落としていく列車のガラスには耳まで赤くなったヒカルが映っている。
でも、さっきは『はた迷惑』とまで評した背後の熱塊に添える手は誰にも確認出来ない。
その持ち主であるアキラ以外にはきっと真の意味だって解らない。
『初回』は無理じゃないどころか望んでいる……そう伝えたいがための行為だなんて、
ヒカルの性格を知り尽くしたアキラでなければ解らない。


――ピンポン、ピンポン……


開け放たれた扉から少し冷たい秋風が吹き込んで来る。
網棚からリュックと上着を急いで下ろしたアキラは、右腕を寒そうな肩に回してやりながら
満員電車を後にする。
『人前で不用意に上着を脱いでくれるな』と云う、普段なら絶対撥ね付けられそうな頼みを
事後の甘い空気の中で切り出す計画を立てながら。





Fin










Aquarelleのエル様より、先日いただいた純情恋愛電車小説のエロヴァージョンを書いていただいた!
最初っから最後まで、布越しの体温で簡単に身を熱くするヒカルと
ヒカルが困惑しているけれど、嫌がっていないのが分かっていて少々意地悪で強引なアキラくん・・・・

( ・∀・)< エロいな!!最高だな!!




満員電車のキモはヒカルが上着脱いでシャツ一枚なところです。









(2014.9.15UP)


エルさま、本当にありがとうございました!

















エルさんにお送りした↑の絵の前後落書きを コッソリ

















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